デジタルハリウッドとわたし、そのほんの一部 本多忠房 #祝デジハリ30周年

わたしがデジタルハリウッドをはじめて認知したのはおそらく2000年前後のこと。当時わたしは大学生で、それなりにまじめに法律の勉強をしながらも、うっかり出会ってしまったWebやらデザインやらが楽しくて仕方なくて、季刊から月刊に変わるくらいのタイミングの『WebDesiging』誌を毎号買っていて、それの表4がデジハリの広告だった気がする(全然違ってたら申し訳ない)。

その後3度目の司法試験に惨敗後、法律の道を諦めてYahoo!に第二新卒で入り(2002年5月)、2年くらいいろいろした後サイバーエージェントに転職(2005年1月)。それからさらに2年と少し経ったある日、デジタルハリウッド大学で講義を担当しないか、という連絡をいただいた。当時27歳とか。

今回30周年の企画をしたので振り返ったら大学開学が2005年だから、だいぶ早いタイミングで講義を始めていることがわかる。翌年から大学院も担当することになり、途中大学院だけになったり、大学院で出世(というのも違うけど)したり、院でラボを持ったり、学部でゼミを持ったり、上海に行くからと全部降りてみたり、意外とすぐ戻ってきたので全部戻していただいたり(ご迷惑をおかけしました)、周囲にいるすてきな人をたくさん先生にしてみたり、いろいろしてきた。本業(っていう言い方もアレだけど、便宜上)におけるどんな会社よりも所属年数が長くなってしまっているので、書こうと思えば無限に思い出を綴れるのだけど、今日は #祝デジハリ30周年 企画ということもあり、わたしが語るべきっぽいことを語ろうと思う。まず、クマシュー、ナイス企画ありがとう。なお、こういうとき卒業生じゃない自分がちょっとさみしくなったりします。いっそのこと入学するか。

それは2015年のある日、つまり、電通に入って間もないころだと思うのだけど、学長から相談を受ける。細かい経緯はおぼろげで、でも、ざっくり言えば「高校生とか世間に対して大学の価値が適切に伝わってないからなんとかしてほしい」的な内容だった。当時のデジハリは高校生から主に「模試の大学一覧に突然現れるカタカナ大学」として認知されてて、特に高偏差値層が志望校にネタとして書くから志望校内順位で上位が取りづらい、みたいな遊びが行われ、カリキュラムとかポリシーとかそういうのを真摯に伝えるところまで行ってない感じだった。もちろん開学当時からそんな声を気にせず入学して、学んで、卒業してクリエイティブとして活躍する芯の強いすてきな学生はたくさんいたんだけど、それでも自分の大学が模試があるたびにそういうコンテキストでネタにされるのはいい気分じゃないよな、教えてるわたしだっていい気分じゃないよ、と思いながら企画を始めたのを覚えてる。学長からは直々にデジハリを始めるまでの話とか、大学が認可されるまでの艱難辛苦とか、そういうことをたくさんインプットしていただいて、最初に世に出したのが「バカにされたい大学」。

最終的には朝日の15段をつくったり学長がAbemaに出たりしていて(これ誰かがPR仕込んだのかな。いい動き〜)、おそらくこれらを「それなりに意味があった」と判断いただいたことで、翌年から今日まで続いているキャンペーンに繋がることになる。

で、TVCMを打つかも、という検討が始まり、そのときに「バカ」というコピーはさすがにいかがなものか、という判断が誰からともなく行われ、結果、「みんなを生きるな。自分を生きよう。」が生まれることになる。初年度は個人的に大好きなド名曲を個人的にすばらしいと思っている俳優の方に歌っていただくという極めて個人的な(だけど絶対に正解だと信じていた)企画だったのだけど、狙っている層に対して狙った効果はあったみたいで、大学の志望者数が目に見えて増えたりして(念のため、すべてが広告によるものだとは全然思ってなくて、大きな時代の流れもあるし、大学がしている無数の取り組みの結果でもあるし、また、在学生、卒業生がイケてるアウトプットを連発してくれるから、というのもある。むしろそれがデカい)、入学してきた学生にも「あれ良かったです」って言ってもらえたりして、ああ、最低限役割は果たせたかもな、とホッとした記憶がある。

ちなみに、教員をしながらキャンペーンの企画をするというのは結構プレッシャーなもので、毎年TVCMのOAタイミングでエゴサしてはデ大の学生の「わたしたちの学費はCMになって消えるのか、やれやれ」的なPostを見て胃をキリキリさせているのだけど(納得いってない学生のみなさん、すみません。相談したいことがあるので直接凸ってもらえるとうれしいです。SlackのDMとかで)、でも、学生一人ひとりの顔を思い浮かべながら企画制作ができているからこそ、継続いただけるようなものをつくれているのだと思うし、いつまで続くのか、また、いつまでわたしがやるのかもわからないけれど、続く限りは胃をキリキリさせながら企画しようと思っています。

最後に、30周年の企画の一環として書いたコピーはこちら

デジハリの学内にこれが掲出されると、みんなそれぞれにここまでの30年(そんなに生きてない人が多いけど)とこれからの30年に思いを巡らせると思うのです。コピーって、投げかける側としては一種類だけど、受け取る側は受け取った人の数だけ意味とか価値とかがあるんだな、みたいな、至極当然のことを再認識するいい機会でした。

ちなみに、わたしの30年後の目標は、学長に60周年のクリエイティブを相談されることです。もっといいものつくれるといいな〜。

改めて、今までありがとうございました。引き続き、よろしくお願いいたします。