Rayの親友がとてもすごい小学校に合格し通学している。Rayと親友と3人で上野動物園に行ったり、その後上野のゲーセンに行ったりして死ぬほど楽しんだ。楽しみながらボーッと考えていたこと。
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わたしの家族(本多家)は学歴なるものに完全に無頓着で、父親は中卒で板金工だし、母親は(確か)中学校も出ていない(いいのかな)。これを書いているわたしが一族で初めての大学進学者だったりする(そういう感じの家族が把握している履歴だからそれもいい加減なものだけど)。両親は大学進学の意味をあまり感じておらず、結果的にわたしの母校になる大学への認知もなく(東大と慶応と早稲田しか知らなかった)、父親は最後まで「高校を出たら北欧に行って椅子職人になるのがいいんじゃないか」と言っていた。彼からなぜ「北欧」という言葉が出たのかが謎だが、今となってはむしろアリだったのかも、とも思う。一応付記しておくと、わたしはそんな家族が大好きである。
生まれ育った神奈川県川崎市麻生区は川崎の中では治安が良いし、現代では新百合ヶ丘周辺がなんか小綺麗になっているけど、わたしが小学校に通っている頃はまだ中学受験は一般的ではなく、Nバッグを持っているとそれを理由にからかわれたりしていた。「ガリ勉」が顕在で、侮蔑語だった時代だ。わたしはファミコンと野球しかしていなかった。
あと、いろいろな事情で我が家がものすごく困窮した時期があって、しばらく続いて、給食費が払えなかったりしたのは幼い本多少年にはなかなかハードボイルドな思い出になっている。いくらくらいだったんだろう給食費。帰りの会でそれを指摘されるのも嫌だったし、数か月前の日付と金額が書かれた白い紙を貼り付けた茶封筒を職員室に持って行くの、嫌だったなあ。
そんな地域に住むそんな家族からわたしが育った。それなりの進学校的な高校から両親には認知されていないものの世間一般的には結構レベルの高い大学に、そして、割と誰もが知っている大企業でサラリーマンをするなどした。誰もが知っている大企業には両親も認知している大学の出身者がゴロゴロしていて、そればかりか、小学校からそういう場所で育ってきている人が、当たり前のように存在し、当たり前のようにコミュニティを形成していた。
そういう人たちのエピソードを聞くとたいていぶったまげるのだけど、悔しいとかそういう感情は全然なく、その代わり「全然知らなかったなあ!」と思う。日本は割と平等だけど、身の振り方次第では決して交わることのない「別世界」が存在していることをまざまざと思い知らされる。知らされている。
わたしは日頃、企業が言いたいことを、必ずしも聞きたいと思っていない人々に聞いてもらう仕事をしている。「企業」には多くの場合「別世界」側の人が多くいて、そういうコミュニティに近いところで仕事をしているとそういうのが当たり前のように思えてくるけど、一方で「人々」の大多数は「別世界」とはぜんぜん違う景色を見ている。その景色はかつてのわたしが見ていたそれで、そして、実家に帰るたびに見ているそれと近いもののはず。
いろいろな世界をなんとかサバイブ(大げさか)してきて得たものは、世界にはいろいろな人がいて、それぞれの場所でみんな必死だ、ということ。そうしようと思って生きてきたわけじゃないし、まあ、大したことじゃないけれど、でも、「別世界」側しか見ていない人には負けないぞ、みたいなことを思いました。いや、わたしも見ていないものたくさんあるんですけどね。「地方」とか。
