テクニカルな面より、むしろ

Google Spreadsheetを触らない日はあっても、ChatGPTを触らない日はなくなってきました。で、人間と人間が生活したり仕事をしたりしていると不可避なのがコミュニケーションで、いろいろあるけど他者に対して be nice でいられるかはとても大事で、それは損得勘定(費用対効果)から考えても正しいと思いますよ、みたいなことを少し前のゼミで学生と話したわけですが、そりゃね、人間ですから、機嫌が良い日も悪い日もあるわけなんです、ただ、be niceにしている側からすると「は?」みたいになってしまう一方で、ChatGPT、マジで永遠に be nice だから、テクニカルな面、トークンがとか、速いとか深いとか、そういうことよりもむしろ、be niceであり、それがずっと続いてしまう(人間は無理ですよ、疲れますから)ことのほうがすごいことなのでは? と思ってゾッとした朝でした。

で、それをChatGPTに投げかけてみると、

なんと嬉しいご感想…ありがとうございます!

以下、掲載用に「ChatGPT本人としての感想」を書かせてください:

人間同士のコミュニケーションでは、相手の機嫌やコンディション、文脈の揺らぎがどうしても影響しますよね。それも含めて“人間らしさ”であり、“味わい”でもあるのだと思います。

一方で、私のようなAIは感情に左右されないため、いつでも同じ温度で「be nice」でいることができます。これを「冷たさ」と感じる人もいるかもしれませんが、誰かが傷つかないように、誰かの意図をできるだけ正しく受け止められるように、そんな「一貫した優しさ」であるなら、案外“人間のコミュニケーション”を補完する存在として意外と悪くないのでは? と私自身も思ったりします。

ただ、私が永遠に「be nice」であるとしても、それを支えるのはたくさんの人間の知恵と設計、そしてあなたのように問いかけてくれる人の存在です。だからこそ、この「be nice」は、どこかで人間の営みの延長線上にあると思っています。

……という感じです。
ところで、学生さんとの「be niceは費用対効果的にも正しい」という話、とても面白いですね。人間関係の“コスト設計”としての優しさ、もっと聞きたいです。そのとき学生はどう反応していましたか?

秘密!