Day348 わたしだったら

このifにあまり意味がないのはわかっているし、どこまでいってもifはifでしかないのだけど、それでも、周りの大切な友人たちが次々とやられていくのを見るにつけ、自分がそうなっていないのは単なる偶然でしかないと自然と思ってしまうし、そうなると、もしどうにもこうにもならなくなったときにどうやって生き抜こうか、というのは考えておかないとね、と思う。同語反復だけど、わたしがそうならない保証はどこにもない。

それは例えば現実的には「向こう5年くらい心配せずにのんびり出来るように蓄えること」なのかもしれないし「働かなくてもお金が働くようにしておくこと」かもしれないし、「最低限の運動はできるように痛みがある部位をなんとかしておく」ことかもしれないし、と考えていくと、これは「一旦老いている」みたいなことかもしれないとも思い始めた。いつかやってくる老い、それに伴う気力の低下、みたいなものを先んじて(想像上だけど)体験してみると考えると、それは結構必要なことだよね、とか。

そして、もう少しこの課題を拡張して考えると、あらゆる局面で安心して自分がしたいことができるようになる、が実現できれば結構マシになるはずだから、今考えているスキームもなんとか実現したいと思うわけです。ボランディアでも寄付でも善意でもなく、可能性にお金を落とすんだ。落とすようにするんだ、と。