#51 QOLを高めるもの

一般論では語れない。なぜならLは極めて個人的なものだから。「QOL 高める グッズ」が極めてアホくさいクエリであることを認識しよう。Lを他人に預けてどうする。というわけで、わたしの場合はどうだろう、と考えてみる。

Criteria
・毎日目にする、できれば毎日使うものがいい
・しまい込まない、生活動線に存在するものがいい
・しっかりとした材質のものがいい 10年は見込みたい

高ポテンシャルなもの(物理)
・アートピース
・家
・椅子
・照明
・食器(特にグラスみたいな毎日絶対に使うもの)
・仕事周りの一式(今だとMac、iPad、iPhone関連、イヤホンあたり)
・時計
・バッグ
・洋服(日常着)
・下着

高ポテンシャルなもの(非物理)
・定期的に綴り、それが蓄積されること
・運動をする習慣
・仕事を確実に『蓄積するもの」にすること
(Scrapboxに貯めるとか、企画書をスクラップするとか)
・コンテンツを楽しむこと
・外出を楽しむこと

ポイント
物理的なものは入手が容易である
入手が容易なのに入手していない時点で合理的ではない
入手できない理由は「一体わたしは今いくら使っていいのか」を突き詰めて考えられていないから
これはつまり資金計画、もっと言えば人生設計の問題
リスクもすべて算定して、いついくら使える状態なのか(もはや使えないのか、手放すべきなのか)を把握する

必要だけど微妙なもの
・トレーニンググッズ(含ウエア)
 →しないと相対的に価値が下がり続ける…「毎日」に当てはまらないのがポイント
 →ただ、健康な肉体(と精神)以上にQOLを高めるものなど存在しない
 →常にほしいが、なくてもいいものなので、必要性が高まった段階でOK
・飲食物
 →ちゃんとしたものを食べるのは肉体と精神の健康に効くのだが、いかんせん残置しない。
 →記録に残すことで昇華していく


#50 結局「何者でもない」というところに戻ってきた

なんとなくここ数年くらいは油断すると「何者か」になったような錯覚に陥ってしまう、あるいは陥らせたほうが毎日が心地よく進む、陥らせないと弊害がある、みたいな環境にいた気がするのだけど、それやっぱり間違いで、わたしは相変わらず「何者でもない」というところにいる。それが正しいのか間違っているのか、良いことなのか悪いことなのか、そういうのは正直わからないけれど、それでも、投げかけられる質問や相談に対して、何かをわかっている前提で、つまり今この瞬間の自分の中からスッとそれらしい答えを出すことはわたしの本懐ではないし、そういう態度は経済的なのかもしれないけど、どこまで行ってもわたしは経済的には生きられない、というのが確信めいたものに変わってきたので、不器用に、でも丁寧に、しっかり考えて、しっかりやる、なぜならわたしは「何者でもない」から、という原理原則に根ざして毎日を生きよう。そのほうが結果的に数年後に「おっ」みたいな感じになるんだよな〜。それも分からんけども。


#49 ブログを書くということ

最高だなと。

わたしも同じくはてなで長らくブログを書いていた時期があって、ということもあるし、作家の文章はすごいな、ということもあるしで、朝からとてもいいものを読んだな、と。そして、自分とブログ、的なものを振り返りながら休日を始める。

2003年、つまり1社目の会社で社会人していたあたりはほんとに自分のためだけに時間を費やすことができていた。中目黒に住んで、ちょっと値の張るクロスバイク買って、週末になれば必ずどこかの美術館かギャラリーに行って企画展見てレビューして、デザイン関連書籍買って、服たくさん買って、こうして書き連ねていくと、果たしていつ仕事してたんだ? という感情が浮かび上がるが、そうか、まだ『仕事は会社でするもの」だったんだな。

中目黒の狭いマンションはその狭さ故に押し入れを開放してそこをデスクにしていて、クリップライトをつけながら夜な夜なデザインしたりコーディングしたりしてた。PCはたしかVaioのクソデカくてクソ重いラップトップだった。薄紫か薄いグレーみたいなやつ。それはどうでもいいけど、つまるところ体験が豊富だったから、大した筆力がなくても毎日のようにブログを更新できたし、あと他にツールがあんまりなかったんだよな。TwitterもFacebookもPinterestもTumblrもなかったように思う。そこでしか書けなかったからそこで書いてたんだろうなって。あ、mixiはあった気がするけど。

改めて、誰のために書くの? それは自分自身のため、とすると、はてなでも、ここでも、書きやすいところで書けば良いんだな、って。「なんとなく書いたものに誰かが反応してくれるかな〜、してくれないかな〜、わかりやすい”Like”とかでもいいんだけどな〜」みたいなハンパな態度でインターネットに向かっているから心が汚れて俗世から抜け出せねえんだよ、というのはハードコアにすぎるけど。

なんか瞑想みたいなことのような気もしてきた。白い画面に自分の脳から出る信号に基づいて字が綴られていくっていうのはそれはそれで尊い体験なのかもしれない。それをもっと大切に生きていこう。

って、こうやって考えたことをだだ漏れ的に書いていくとAIが書いたみたいな文章になっていく。AIが書いた文章はいつか洗練されて、インターネットにあふれる文章はすべてSophisticatedになるのかな〜。

てなわけで、毎日かくぞ〜 書くのは大事っ


#48 夫婦・家族

家族にはいろいろな形があるけど、その中でも「子どもがいない夫婦」というスタイルが最も難易度が高い。親と子には通常血縁関係があって、その関係性は(持ってみてわかったけど)「はい、じゃあおつかれさまでした、またいつかどこかで」みたいな感じにはならない。言語化が難しい、というか、血縁という表現以外に適切な言葉が見当たらないのだけど、とにかく、そう。

一方で「夫婦」というのはたいして拘束力のない契約でしかつながっておらず、当然結婚までに育ってきた環境も違って、価値観も違って、であり、ともすると「子どもを一緒に育てるプロジェクトの関与者」という共通点でもない限り「やれやれ、潮時か」と感じてしまうこともままある(個人の感想です)。熟年離婚というのもたいへん解せる、というか、燃え尽き症候群的なね、そういうのがあっても全然おかしくない感じはする。

ステージによってちょうどいい家族のフォーメーションってのがあるよね。そしてもちろん「ちょうどいい」は人によって違うよね。と思う今日このごろなので、あまり「こうあるべき」みたいなものに縛られず、もうちょっと自分のヘルシーを追求していきたい、というか、すべき。


#47 これから新たにできるようになること

こういう仕事をしていると、仕事の大半は「お願いすること」になる。適切にお願いするためにはお願いする相手に対する敬意、それに基づく知識や理解が必要で、新たに「お願いします」するたびに多かれ少なかれ勉強している(いつも同じチームでやるのはそういう意味であまり良くないのでは、と思う。良い面がたくさんあるのは認識しつつ)。

ただ、社会人20年くらいやってるけど、未だにお願いが苦手すぎる。20年で変わらないということは多分これからも変わらないであろう。で、そのたびに「お願いするために勉強するなら、お願いしなくて済むように勉強したほうがいいのでは?」と思うことになる。というわけで、これから先、苦手なお願いをしなくて済むために何を学ぶべきなのかを少し考えてみる。

動画撮影と編集

なんか、撮影はそれなりに大丈夫な気がしているものの、編集に対する経験がなさすぎてヤバい。誰かに頼んだときにアウトプットされるものと、自分がつくったときのそれの差がハチャメチャでかい。つまり勉強のし甲斐がある。

写真撮影と現像

シャッターを切る事自体はもはや誰にでもできるのだけど、良い写真をつくる原理が理解できていないから理解しないといけない(計算して良い写真がつくれないと仕事にならない)。動画もそうだけど理屈の学習とツールの習熟度を上げるっていう2つの方向性がある。どっちも大変。

英語と英会話

どっちも10年あればなんとかなるかな、という肌感。特に英語でコピー(キャッチもボディも)を書いてみたいと思っているのだけど、10年で足りるかな〜。10年毎日勉強すればそれなりに書けるようになるのかな。そのとき52か。需要あるかな。いや、需要はつくればいっか。

デザイン

領域が超狭いけど、狭い中だったらできる。けど、自分ができる領域の外にメチャメチャな荒野が広がってしまってるやつ。これも理屈とツールの習熟度を上げるっていう両輪で開発していくことになる。

こんなとこかしら。(英語以外の)特徴として、いずれもインプットは大量に行われていて、あとは理論とツールの習熟度を詰めていけばいいということがこのブログを書くことによって明らかになった。やることが明確化されたのであとはスケジュールに落とし込んで、ちょっとずつ学んでいこうと思う。自分ができることだけで毎日を埋めていってしまうと、それは貯金を少しずつ切り崩しているに過ぎないことになるので、少しでも投資に回せる時間を作れるように「できること」は集中してアジリティをあげていかなくては、と改めて。

勉強(を始める)の秋に!