卒展と「わからなさ」

本日、卒展最終日。これを書いてる今は10:46。あと14分で開場です。

昨日は13時からCloseまでずっと自分のゼミにいたんだけど、昔に比べると来場者も増えていて、学生にとってはすごくいい環境になってるな〜、と思っております。

昨夜はゼミのOBOGを交えた「総会」の日で、体中を油(お好み焼き、もんじゃなど)の匂いに染めてカプセルホテルに帰って寝まして。で、いつも通り早起きしてジョギングしてたら、展示作家のひとりが書いたnoteが流れてきて。「この時間まで起きていて、11時に来られるんだろうか……」っていう不安がよぎりつつも(笑)、いろいろ思うところがあったので、改めて「来てください」のメッセージとして書いてみます。

私は別に、「自分にしかできない表現を、過去の自分と向き合って作りきれ!」みたいなタイプじゃない。自分がやりたいものとか、得意なものとか、自分が気持ちよく作れるものを作ってくれたらいいな、と思ってる。

でも、仮に本人が「自分」に向き合わなかったとしても、アウトプットにはその人の人生が勝手に乗ってしまう。それを他人が全部知ることなんて絶対に不可能だし、そう考えると、作品を体験するときの態度として「わかる」「わかろうとする」ことって、実はあんまり意味がないのかも、なんて思うのです。

だから、これはうちの卒展に限ったことじゃないけど、「わかる」ことを目指さなくていいと思う。その瞬間の自分のままで、目の前の作品と対峙して、面白ければ面白い、つまらなければつまらない。わかった気がすればそれでいいし、わからなければ、それでも全然いい。

そんな感じで、ふらっと遊びに来ていただけるとうれしいです。お、ちょうど11時〜!