tdfshnd.com

RHYTHM*

「情報」(とその取得)について思うこと

この記事は、tadafusahonda.com/blog で2009年4月から2013年3月まで公開していたブログ「RHYTHM*」から移したものです。元の URL は www.tadafusahonda.com/blog/2010/04/16/「情報」(とその取得)について思うこと/ でした。リンクの先や埋め込み、当時の画像は、いまは表示されないことがあります。

今朝、GoogleReaderにアクセスして、「さ、今日も未読減らすぞー」と意気込んでいたところ、未読があるのにメインのビューには「ありません」と表示され超困った。再起動してもCookie削除してもなにしても直らない。超困った。Twitter使うようになって利用頻度は落ちたものの、やっぱりまだRSSリーダーならではの情報取得スタイルと言うのもあるし、ソーシャルフィルタリング(の結果としてぼくの目に止まる)されない情報っていうのも結構ある。解決方法が思いつかなかったので、気持ち悪いけど既読扱いにされた「未読」を新しい方から読むことにした。あと、GoogleReaderには「sort by magic(日本語ではこれを「おすすめ順」と訳しているが、マジでセンスないと思う。)」というシャレた機能があって、「あー、Googleはぼくのことよく分かってるなー。うふふ。」と思いながらショートカットキーで読み進めていた。で、ふと気づいたこと。というか考えておかないといけないこと。

ぼくはTwitterのFollow数をだいたい100以下に制限していて、その100という数字にまったく理性的な意味はなく、感覚的に自分自身がTLを「すべて追える限界値」がそのへんだということが分かったから。そう、今、ぼくはTLを全て読んでいる。GoogleReaderも全て読んでいるし、Boldで表現された未読がひとつひとつなくなっていくことは日常生活における最小単位の達成感だったりするわけで。で、そんな「未読管理」の機能が今朝、ぶっ壊れた。どうしよう。ぼくの達成感はどこへ。で、上に書いたように「sort by magic」で読んでいたときにふと思った。これの方が正解かもな、と。普段からそうしている人には当たり前かもしれないんだけど、「大量の情報の中で、自分自身がその時偶然出会うことができた情報だけを取得する」というスタイルが正解かも、と。2つくらいの意味で。

例えば「今朝の日経のあの記事読んだ?」と聞かれることがある。新聞はマスメディアだ。間違いない。それが正しいか正しくないかは別として世論形成に一定レベル以上の効果があるし、それでメシを食ってきた記者が頭ひねってかいた文章で読みやすい。ビジネスモデルが崩壊しつつあるだけで、そのコンテンツまで価値がないかというと、そうでもない。例えば「昨日のあのドラマ見た?」と聞かれることがある。テレビもマスメディアだ。間違いない。以下同文。ただ、決定的なのは「マスがマスとして存在する価値が薄い」という事実だろうと思う。マスはマスであるからこそマスなのであって、マスとしての機能を果たさないマスというのは一体何なんだろう。「公共の電波使ってとりあえず流されてるなにかよくわからないもの」か? 昔はあった(そういうことになっていただけかもしれないけど)「抑えておかないと乗り遅れる」なんていうソースが既に存在してないし、月9見てなくてもOLのランチは成立するだろうし、そもそもテレビ見なくたってクラスでいじめられない。例え話起点で超脱線したものの、言いたいことは「誰か(自分自身も含めて)、もしくは何かによって見なくてはいけない情報として規定され、それを受容して消費する」ということがそもそももう違うな、というのが1点目。

で、じゃあどうすっか、って話になるんだけど、ここが2点目につながっていて、「偶然」とは言え、テクノロジーによって、自らをさらけ出すことでその偶然の精度が上がるから。誰か、もしくは何かによって「今これ見た方がええんちゃう?」という緩やかなレコメンデーションがこれからいろんなプラットフォームによってなされることは確実で、テクノロジーは日々「ぼくがどんな人間でどんなものが好きで嫌いでいつ起きて寝ていつ会社に行って昼飯はどこで何を食べて」みたいな情報を収集し続けている。オフラインの情報はトラックも分析もできない上にそのインパクトがオンラインに比べて大きいから例えばWebのターゲティングテクノロジーには「今のところ」大きな限界がある、というのがぼくの持論だけど、その「今のところ」である期間が徐々に短く、毎日少しずつ短くなってるのが分かる。分かるほどに、短くなりつつある。そうなると、自分自身がどんな人間であるかを機械(この場合はGoogleReader等Googleのサービス)に分かってもらうことが大切になる。とにかく自分自身に関するデータを大量に提供して、それを解析してもらってレスポンスをもらって、そのレスポンスに対するフィードバックをきちっと行っていくしかない。そういう観点からも「限定された(した)ソースからの情報取得行為」というのが少し違うことが分かる。そこで自分自身を制限してする必要がない。ただひたすらに評価をすればいいだけだ。

ちなみに、こういう話をすると、「自分自身の趣味趣向にあった情報だけを摂取する結果、偏りが生じて良くない」「世論とは何かを知っておく必要がある。だからマスメディアだ」とか言っちゃったりするけど、そもそもそういう考え自体がどうかしてる。それに、まずくない程度に「一般」を混ぜてレコメンドするなんていうのは朝飯前なわけで、やっぱりそれがマスである必要なんてどこにもない。「マスっぽ」ければ良い。

情報を得るためには情報を与える必要がある。テクノロジーはいろんなものをフラットにして、結果としていろんなところに互助の関係性を作り出している。ほら、ここにも。与えよ、さらば与えられん。でもGoogleReaderが直らないのは困ったなあ。

記事の一覧へ