tdfshnd.com

RHYTHM*

「常識がない」について

この記事は、tadafusahonda.com/blog で2009年4月から2013年3月まで公開していたブログ「RHYTHM*」から移したものです。元の URL は www.tadafusahonda.com/blog/2010/10/05/「常識がない」について/ でした。リンクの先や埋め込み、当時の画像は、いまは表示されないことがあります。

生きているといろいろある。特に社会人になるといろいろある。例えばクライアントに対してなんらか提案を行う際、「アイスブレイク」というものが存在する。その名の通り、凍った(ように堅苦しい)場を溶かす(ように和やかにする)技法であり、さっきGoogleで検索したらAdWords経由でこういうDVDまで売られていることに気づいた。すごいな。これは極端な例にしても、「今日の日経○面、見ました?」などという会話は普通に交わされる。コンセンサスである。嗜みである。ちなみにぼくは日経をあまり読んでいないので良く切ない気分になる。

一般的な話題、例えば「朝青龍は引退したけどまだまだやれそうですよね」とか「桜丘に新しいラーメン屋ができたらしいですね」とかそういうのもある。お互いのパーソナリティをある程度把握した上で、差しさわりのなさそうな、かつ話題が盛り上がりそうなトピックを人は無意識にチョイスする。コミュニケーションが目的なのではない。コミュニケーションが恙無く成立することが目的なのだ。わざわざこんなことを書かなくても、日常の業務の中でコミュニケーションが必要な社会人であれば、意識的にあるいは無意識に行っているはず。コンセンサスである。嗜みである。良くわからないけれど、貴闘力の焼肉屋に行ってみたい。

ふと、こういった「常識」を積み重ねるのに使っている時間というのは結構あるはずで、それは何の意味があるのだろうとそこはかとなく不安になった。昔に比べ、おそらくだけど、皆が知っていることを知っている状態にするためのコストが、リターンに対して見合わなくなってきている。というか、ほとんど意味がない。

ぼく(ら)は幼少の頃から横並びであることを美徳とされる。教育を例にとってみれば、検定を通過した教科書を国が決めたカリキュラムに沿って読みながら、一般的に重要だと思われる箇所にマーカーを引き、テストではその記憶を正確に再現できるかどうかで優劣がつけられる。勝つための戦略なんて要らない。少なくとも大学入試に至るまで、「競合」すら存在しないのだ。敵は己の中にのみある。大学受験で「いやー、競合(他の受験者)のレベルが高くてさー」なんて言っている人を見たことがあまりない(余談だけど、思春期にスポーツをやったりするのはこの辺の意味が大きいと思ってる)。一方で、一度社会に放り込まれ、「戦略」みたいなことをちょっとでも考え出すと、そこには「差別化」がセットで語られる。差別化は競争環境における勝利のためのキーであり、差別化できない戦略なんて戦略ですらない。正反対だ。360度、といってしまいたくなるほど正反対。

市場全体が伸びているときはその波に乗ったらいいと思う。同質化は尊く、外さなければ皆といっしょに伸びるのだ。ただ、日本が置かれている現状をよくよく考えると、日本という国において共有されている「質」に合わせたところで未来がそれほど明るくないのはイマドキ高校生だって何となく分かってる。

常識が積み重ねられた上の非常識もあるけど、いかに常識を外せるかを常に意識しないと、人生つまんなくなりそうだな、と、つまらないエントリを朝からせっせと書いてみました。

記事の一覧へ