#25 一夫と美智子

自分自身が歳を取り、自分自身の「老後」みたいなことに思いを馳せることが少なくなくなってくると、一夫と美智子、つまり私の両親がいかに健やかな状態で老後を迎えようとしているのかということに気付かされ、嬉しく思うと同時に驚き、そしてちょっと落ち込む。

自分自身が40年後生きているともあまり想定していないし、生きていたとしても孫とガンガン遊べるだろうか、と。

長生きしたいとは思っていないけれど、生きているうちはピンピンしていたい。そう、ピンピンコロリという人生の究極の目的を成し遂げるべく、一夫と美智子を先生として、今一度歩き出そう、そう思った週末でした。


#24 伊藤ガビン「もう直感は役に立たなくなってしまった」

新潮読んだのなんていつ以来だろう、という感じだけど、ガビンさんのアレを読みたく、読んでみました。

インターフェースというかデザインというかそういうものがベストプラクティス化され、かつ容易にコピーされるみたいなWebならではのアレやコレやが現実世界に侵食していて、直感をコントロールされててトホホ、みたいなこと。「パット見」Web的に言うのであれば「ファーストビュー」みたいなものが高度にコピーされるようになると確かに色んな人が損しそうな予感はある。「弱き者」にとってはいいのかもしれないけど。

この前土呂のステラタウンに行ったときにも茅乃舎みたいな店舗ができててカラッと笑ってみたけど、そういうコピー的なものの充満がこの国の文化レベルを下げていっているんだなあ、と。寂しい限りです。


#23 the Blind Donkey

目黒に住んでいたころに、ふと、近所に美味しそうなビストロがあることに気づき、(確か)土曜日限定の鹿肉のバーガーを食べに行って衝撃を受けた。それがDonkeyの前身のBEARDで。で、今の会社に入ってからも偶然に、かつことあるごとに、素敵な先輩、後輩とBEARDで夜を過ごしていた。行くたびに驚き、喜び、そして考えさせられる店だった。

で、Donkey。幸いにもすでに複数回いろいろな方と訪れていて、いや、そのすべてが敬愛する先輩からのお誘いなのだけど、相変わらず驚き、喜び、考えさせられる。食べるということにもっと真剣に向き合わないといけない。いけない、というかもったいない。コンビニエントなこと、誠実なこと、安いこと、正当なこと、おいしいこと、複雑なこと、いったい、あなたは食に何を求めていますか? と問われている気にさえなる。

あまりお酒飲まないのだけど、ここで飲むワインは美味しくて、昨日も2杯もいただいてしまった。お店のせいなのか、はたまた。


#22 パブロン鼻炎カプセル

Sαかどうかは割とどうでもいい

人生で一番飲んでいる薬だと思う。

薬は銘柄自体よりも自分の体との相性が大事であり、そういう意味ではロキソニンよりイブクイックだったりするのですが、パブロンは1カプセルでしっかり早く効いてしまうので花粉やら鼻風邪やらのときの安心感がすごいことになっている。

ちなみに所定量は2カプセルなのですが、それだとキマりすぎて膝から崩れ落ちて寝てしまうので1カプセルです。みなさまも身体と相談の上ぜひご使用ください。私にとってはほぼドラッグであります。


#21 動き続けるおかん

実家を離れてもうどれくらいになるのか、それはつまりおとんおかんと離れて暮らしている、という期間と同じことになるのだけど、離れてみて気づくことと、離れてみて、別の生活を実際的に行ってみて気づくことがあって、後者の話。

結婚して子どもができて家事をするようになって思うのは、家事には終わりがない、ということ。もっときれいにしよう、もっと整頓しよう、そう思えば無限に掃除を始めとした家事というものはしつづけることができる。びっくりする。

で、思い返すのは実家にいた頃のおかん。口に出して伝えたことはなかったけれど(最近伝えた)「なんでおかんは常に忙しくしているんだろう。掃除だって洗濯だって終わってるはずなのに」と思っていた。もっと休めばいいのに、とも。そう思っていた私には当然「家事無限説」はインプットされておらず、何事もやってみないとわかりませんな、言い換えればやってみることであっさり変わる視点なんていうものは五万とあるので、何事もやることが大事ですよね、ということです。おかんは偉い。私も遅ればせながらちょっと偉い、はず。