RHYTHM*
凡庸な日本の私
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戦いを終え数年後、かつてはこの島国の頂点に登りつめたこともあるドラゴンは、自身が世界選手権の代表から外れたことを江ノ島の浜辺でスマイルに伝える。「自分はこのまま凡庸な選手で終わってしまうのではないかと」、と。スマイルは、
「いいじゃないですか、凡庸。僕ワリと好きですよ、そうゆう選手。」スマイル
と、「つぶやく」。
ドラゴンは決して凡庸であるはずがないし、スマイルもまた同じように凡庸ではないのだが、凡庸であることを恐れるドラゴンと、それを当然のこととして受け止めるスマイル。この世の中に画一的な価値指標など存在しないからこそ起こる「ズレ」であり、当然だがふたりはそれぞれに目指すべき場所が違うのだ。この後風間が、そして月本がどうなったのかは知る由もないけれど、ふたりともそれぞれに凡庸を消化できているといいな、と思う。
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で、自分の凡庸さといかに付き合っていくか、というのは非常に大きなテーマだったりする。何かを考え、それをアウトプットし、価値に変えていくことを生業にしている今、それはさらに大問題。なぜって、凡庸な考え、凡庸なアウトプットには価値がない可能性が高いから。ただし、そもそもユニークで価値のあるアイデアが湯水のように沸いてきて困る、なんていう人はなかなか存在しないだろうし、たまにひらめいたスマッシュなアイデアも、その瞬間に世界中で何百人と同じ事を考えているんだろうな、とか考えては苦しんだりする人がほとんどだと思う。つまり、人は程度の差こそあれある部分において凡庸なのだ。だからこそ、どう付き合うかが問題なわけで。
一方で、そもそも「考える」ことそのものにおいて凡庸になることを許容して、それ以外の部分、例えばスピードとか正確性とかでそれを補おうとするのは、ビジネスにおいて必要なことなのかもしれないけれど、それは嵌っていると思う。あくまで自分自身にとって、だけれど。生産管理的アプローチにおいてはフォーマット化してマニュアル化してスケーラブルにしていくことこそが「正解」なんだろうけど、それはそれ、これはこれと意識しないと、見えやすい「正解」に誘惑されそうになる。危ない。そんなはずじゃなかっただろう、と歴史に問い詰められる前に読み直したのはピンポン。上に引用したのは5巻にでてくるやり取りだけど、やっぱり3巻がいいよな、と思う。
「もがけ青春」真っ只中。凡庸な日本の私は、今日もまた考えるのです。いろいろと。


