#166 自分に(過度に)期待しない

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本来、第1希望で指名してくれた人全員といっしょにやりたいと心から思っているのだけど、その浅い、八方美人的思考によって自分も苦しみ、結果として学生も苦しむ、ということにすべきではないため、結果今年の倍率は2倍になった。気合いだけでは頑張り抜けない年齢になっているし、スキルの向上は当然大事なんだけど、それ以上にメンタルも含めたパフォーマンスが水準以上をキープできるようなコンディショニングを続けないといけない。未来の自分に過度な期待は禁物。希望は要るけど。

で、ゼミ、今年も去年と同じように(方向性は結構違うけど)タレント揃いなので、1年半たのしくやりたい。わたしもたくさん勉強します。


#165 生物としてのバランス

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少し前からキッズが習い事としてボルダリングをしていて、昨日は「Dadaが普段見に来てくれないから見せたい!」ということでレッスンではなくフリーでジムに。垂直よりも角度がついている壁をスイスイ登る2人を見つつ、ああ、これは人間として最低限備えておくべきバランスだなあ、と思ったりした。

筋力を付けてパワーでカバーするもよし、減量して負荷を軽くするもよし、技能を高めて効率的に攻略するもよし、みたいなものが全てここに詰まっていて、つまるところ「そこそこボルダリングができる状態」というのは、生物として良いレベルでバランスが取れている状態だと言えるのだと思う。全身運動だし。

もう人生折り返し地点を(多分)過ぎていて、今からアスリートになるわけでもない一方で残りの人生があと1年で終わるかと言うとそうでもないわたしは、2人が登っている間つとめてストレッチを続けていたのでした。もうちょっとで腰痛前の状態に戻りそうだから、戻ったらのんびり、バランス取れるようにがんばろう。


#164 2社目

今わたしが代表をやっている会社をつくったのは2020年6月22日で、設立時にはわたしは代表ではなく会社員をしていて、それから約2年、会社員をやめて代表を始めて社名を変えて、なんだかんだたくさんの人にご愛顧いただいて3期目に入った。仕事がめちゃ速いタイプでもない(昔は速かったけど、ひとえに老化である)のにたくさんの仕事を抱えており、「もうちょっとまってください…もうちょっと…」な毎日(すみませんすみません)だけど、会社であることの意味とか、会社をやることの楽しさと難しさとか、当然それをやる前に比べるとたくさんのことがわかってきて、それでもまだ2%くらいしかわかっていないような気もするけれど、ざっくり、会社をやるのは結構楽しい。向いているか向いていないかはまだわからないけど、自分が思っていたのとは良い意味でだいぶ違う(この「だいぶ違う」は、いろいろなことを後回しにしつつギリギリまで着手しないわたしを絶妙にフォローしてくれている税理士さんや社労士さんのファインプレーなんだと思う)。

で、今月末に2社目をつくることになった。2022年6月22日。ちょうど2年後(物覚えが悪いので、揃えたほうが何かと都合がいい)。会社をやってみて思うのは「どうしても会社でないとダメなこと」というのはそんなにないのだけど、でもなんか「覚悟」として会社にしておくというのは効果がある(ちなみに「雇用する」はさらにデカい覚悟が必要だった)。なんとなく個人事業の延長線上でつくった今の会社とは違う、自分の思念みたいなものを結実させることになるので、今の会社とは違う感じで、そっちはそっちでしっかりやりたいと思う。諸々整ったらお知らせします。来月半ばくらいかな〜。ちなみに今度は株式会社です。この私がわたしを持つなんて! ひえ〜!


#163 飲み会の効用

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それは「無礼講」にあるんだと思う。普段多分に常識的で理性的な人々が、場とアルコールにあてられてなんか普段言いづらいこととか聞きづらいこととかそういうことをペロッと口走ったりする。それはとても人間らしいし、そう、人間らしいのはいいよね、って。この前も小林あげはと話をしてて、「おまえ人間してんな〜」って笑ったし、なんていうのかな、コロナだニューノーマルだリモートだみたいな話は人間を人間じゃなくしてる(そりゃアップデートしてる、とかいえばかっこいいけどさ)から、まあしばらくはこういう「回帰」みたいなのを楽しみたいところですよね。まだウイルスがいらっしゃるけど、それでも、節度を持って楽しめばいいと思うんです。きっと。


#162 11日目に

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そう、シャワーに成功した。2日前くらいから頭が痒くて正直頭がおかしくなりそうだったので、とても良かった。ところで、水の要らないシャンプーっていうのがありますが、ちょっと気になってたんだけど今回も結局試せずに終わった。水の要らないシャンプーって何? どういう作用?

で、わたしの身体(精神も、か)は仕事に極度に最適化されていて、それはつまり休みの終わる明日にはわたしの身体(精神も、か)は回復することになるのだと思う。で、何日かすると忙しさにかまけてこのしんどかった11日間のことなんてすっかり忘れて、最初のうちは気を使って丁寧にやるストレッチも、まあ、1週間くらいですっかり忘れたりする。でも今回はさすがにそういう感じではダメだろうということで、決意表明的なテキストを残すことに。

すごく簡単なことで、そしてすごく切ないことなんだけど、生きている中で「わたしでないとダメ」というシーンというのは、実はとてもとても少ない。例えば自分がやっている仕事のうち、ほんとうの意味で「わたしでないとダメ」なものなんてひとつもない。ある条件下において、「悪くない」あるいは「結構いい」くらいな評価をもらっているからやっているに過ぎないので、いや、それでも信じて託していただいているみなさんのために全力を注ぐことに変わりはないんだけど。「わたしでないとダメ」じゃないよな、って。

じゃあ「わたしでないとダメ」なシーンというのはどこにあるのか。大きく2つで、「家族の一員」と「自分自身」。HannahとRayの生物学的な父は私しかいないので、それは「わたしでないとダメ」であろうし(生物学的な父じゃないと父適格がないとは言っていないですよ)、わたしをいかに健やかにマネジメントするかは他人に委ねられないので当然ながら「わたしでないとダメ」であろう。極論、この2つ以外は「わたしじゃなくてもきっと大丈夫」なわけで、プライオリティを多少下げるべし、というのが論理的結論であることに疑いはなかろうと。

というわけで、プライオリティがクリアになったのであとは行動に反映させる必要があって、でももちろんクオリティを下げるわけには行かないからいろいろな工夫が要求されるわけですが、それもすべて「わたしでないとダメ」に向かっていくよう、生き方のベクトルをしっかりと定めておこう、みたいな話でありました。